2001年【如月号】
vol.4

 萬盛堂歳時記の表紙を毎号飾っている絵は、「博多の仙がいさん」と親しまれた、江戸時代の聖福寺の名僧仙がい義梵の作品である。萬盛堂の先代石村善右は、若い頃、幻住庵僧堂に通 い、韜光和尚について、禅の修養と書を学んだ。修行を通じて聴き、触れる、仙がいさんのエピソードや書画は善右の心に深い感銘を与え、書画の収集や逸話集の執筆、あるいは「仙がいもなか」などの銘菓を考案し、仙がいの徳を世に広めようと努めた。
  幻住庵は、仙がいが隠棲したところとして知られているが、山門を入ったすぐ左手に一本の梅の古木があり、毎年、早春に仙がいの昔と変わらぬ 、薄紅の馥郁とした香を漂わせている。
  福岡藩十代藩主黒田斉清は、和漢の学、蘭学に通じ、特に本草学については書物を著すほどの精通ぶりで、殊に菊花は、天下の名品を自庭に集め研究するほどだった。ある日、庭師の飼い犬に愛する菊を踏み荒らされた斉清は、怒って庭師を手打ちにすると言い渡した。
  その時仙がいは「人の命と菊の命はどちらが大事とお思いか。しかも、今年は大飢饉で百姓は困窮しておりますぞ。これに救いの手ものべず、花いじりや菊見の宴でもありますまい。民百姓あってのお殿様ということを、とくと、お考えあれ。」と諫めた。
  元より英明な藩主は、自分の非を素直に認めたばかりでなく、諫言の御礼にと、自愛の「雲井の梅」を仙がいに贈った。
  世俗の権力をおそれず、人としての正しい道を堂々と説く名僧。そしてそれに応えた名君。その清々しさを「雲井の梅」は、今の世に伝えている。



まだつぼみも固い幻住庵の「雲井の梅」3月初旬頃には、梅花が咲きほころびます。
【立春と豆まき】
 立春の前日の夜、窓や戸を大きく開け放って、「鬼は外!」と、大きな声を張り上げる。節分です。このときばかりは、どんなに大声を出しても、戸や窓の開け閉てが乱暴でもかまわない。むしろ、普段はいかめしい父親も一緒になって楽しんだ、家族の温かさに浸った思い出が忘れられません。
  節分の行事は、元来、重要な宮廷年中行事の一つである「追儺」を源にした、災厄や寒気(冬)を払うものでした。中国では古来より、赤丸(小豆)や五穀をまいて大儺に厄除けや魔払いを行っていたことがあり、日本の民間伝承の中では、特に大豆がその役目を大いに果たすようになりました。
  大豆の物にぶつかってたてる音が、様々な災厄や病除けに効用があると信じられてきたからです。豆まきを心ゆくまで楽しんだあと、家のあちこちにかすかな春の気配が飛び込んできたのを感じます。
  厄や鬼を払って、ほら春はそこまでやってきているようですよ。

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