2003年【如月号】
vol.28

 「鬼は〜外、福は〜内」
赤鬼、青鬼めがけて煎り豆が撒(ま)かれます。逃げる鬼、追っかける子等。
 二月三日(四日)の節分には、こんな光景が幼稚園や学校で見られます。最近では少なくなりましたが、以前はどの家庭でも節分の夜、豆まきをし、「年の数だけ食べると病気にならない」などと言って、撒かれた豆を拾い、食したものでした。
 節分とは、本来、季節の変わり目である立春、立夏、立秋、立冬の前日を言いましたが、なかでも立春は、中国の古い暦で元旦とされたことから、立春の前日の節分が重視され、今日節分と言えば、二月三日あるいは四日ということになっています。
 宮中では、大晦日の夜に疫病(えきびょう)や災難の原因と考えられた鬼を退散させる行事(追儺〈ついな〉)が平安時代に恒例化し、陰陽師(おんみょうじ)が儺(おにやらい)の詞(ことば)を読み上げた後、桃の弓、蓬(よもぎ)の矢、棒などで鬼に扮した人を追いやって、悪疫を退散しました。この追儺行事が民間では節分の日に行われるようになったのです。
 豆まきは中国の風習にもとづいたと言われ、十四世紀にはすでに追儺の行事として行われていたようで、神社仏閣に人々が集まって、福豆を拾うことが行われるようになりました。
 博多では、櫛田神社と東長寺の節分行事が有名で、例年大勢の人で賑わいます。東長寺では、本堂で護摩(ごま)を焚(た)き豆を加持して特設舞台から撒きます。櫛田神社では正門(しょうもん)の鳥居に日本一大きなお多福面 がしつらえられ、それをくぐり境内に入ると、能舞台では知名士や年男たちが威勢良く豆をまき、それを拾おうと人波がゆれ、賑やかな歓声があがります。
 昔は花会の女性が「おばけ」といって、仮装して櫛田神社、東長寺にお詣りしたり、赤鬼・青鬼が盛り場にくり出したり。そんな楽しい光景を懐かしむ声も聞こえてきます。


櫛田神社 節分大祭のお多福面
【鉄 瓶】
 ここのところ、お茶を美味しく飲むために、茶葉にこだわり、水にこだわりしていたら、そのこだわりが、ついにやかんにまで及んでしまいました。手入れがちょっと面 倒なので、急速に廃れてしまった鉄瓶ですが、使い始めるとどうしたものか、お茶がとっても美味しく感じられるのです。
 鉄瓶で湧かした湯がどうしてよいかというと、滲み出る「鉄」そのものに謎が隠されていました。この鉄は水道水を円やかにし、お茶と一緒になると互いのよさを引き出します。さらに、鉄そのものでので、現代の食生活で不足しがちな鉄分までをも十分に補給してくれます。お釜で沸かした湯を頂いたことのある方なら、舌の上で緩やかにころがるその味を、きっと想像できることでしょう。
 お手入れが面倒とはいっても、使っていくうちに、自分だけの風合いが作り上げられていくのも鉄瓶の特徴。鉄瓶は、美味しい湯を沸かすだけでなく、ものとの付き合い方も育ててくれる道具といえそうです。

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