2003年【弥生号】
vol.29

 博多の町では、門口(かどぐち)に直径一〇センチくらいの小さなカゴを提げた家をよく目にします。「お潮井(いおい)テボ」です。この中には真砂(まさご)がはいっていますが、博多の人は、外出や旅行をする時に、「途中でけがなどしないように」との呪(まじない)いで、身体にこの砂を振りかけます。
 この砂は箱崎の浜から取ってきたものです。
 箱崎宮の参道をまっすぐ海に向かうと、大鳥居の先に赤い鳥居が見え、その先に「神聖處」と書かれた大きな立て札が立っています。博多の人々は、古来、白砂青松の美しい博多湾岸のなかでも、箱崎宮の浜辺の白砂を最も神聖なものと考え、その砂をいただいて、身体や家などあらゆるものの清め祓(はら)いをしてきたのです。
 太宰府市役所近くの御笠川の畔に、仙がい和尚が書いた「三浦(みうら)の碑」が立っています。ここは昔、太宰府天満宮にお詣りする人が、身を清めた所ですが、ここに「二見浦(ふたみがうら)」「和歌浦(わかのうら)」「筺崎浦(はこざきうら)」の三浦の塩を奉納した記念の石碑です。箱崎は伊勢の二見浦や和歌山の和歌浦とならぶ神聖な所として、江戸時代からの著名だったのです。
 博多山笠のはじまりに、山笠に参加する人がそろって箱崎浜にお潮井とりに行くことはよく知られていますが、それとは別 に「社日(しゃにち)の潮井は殊に有り難い」と、博多ばかりでなく近隣の農村部からもお潮井とりにやってきます。交通 が不便だった昔は、村を代表して当番が取りに来る所もありました。
 テボに入れて持ち帰ったお潮井は、日常身に振りかけるばかりでなく、建築時の敷地祓い(しきちはらい)や災難除け(さいなんよけ)、田畑の虫除け、豊作を祈ったり、重大な任務に就く時など、何事によらず振り、撒き、物事がうまくいくようにと祈るのです。
 「社日」とは春秋の彼岸に一番近い「戊(つちのえ)」の日。今年の社日は三月十六日と九月二十二日。箱崎浜には露店も出て、早朝より大勢の人で賑わいます。中風にならないようにと「社日ダコ」を買って帰り、食べたのもなつかしい思い出です。


「お潮井とり」が行われる筥崎宮前の海岸
【梅の後か桜の前か】
 梅や桜とならんで春を代表する桃の花木は、古くから仙木・仙果 とよばれています。不老長寿の効用や、邪を退ける力があるなど、霊験あらたかな植物として親しまれてきました。
 桃が登場する物語に『西遊記』がありますが、これは楽園の桃を無断で食べた孫悟空が、女神の怒りにふれ、天界から追い出される場面 から始まります。いたずら好きの孫悟空らしいエピソードですが、波瀾万丈の長旅の始まりが、桃の実を食べてしまったことに因るとは、案外知られていないように思います。この桃が日本に渡来したのは、推定五世紀。『古事記』や『日本書紀』にも書かれていますので、随分古くから日本人にも親しまれてきた植物だったことがわかります。
 三月三日の「桃の節句」は、中国の「禊祓(けいふ)の行事」にルーツをもち、今日、「雛祭り」とあわさって盛大に行われるようになりました。子供の無病息災や多幸を祈る親の心が、桃の花木に託されて形になったものといえそうです。

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