2004年【弥生号】
vol.41

 野に田畑に緑が萌える三月、晴れわたったおだやかな日。鶴たちはいっせいに空高く舞い上がり、列をなしてシベリアや中国東北部を目指して帰って行きます。はるばる渡って来る鶴が安心して越冬できる地は、今の日本では鹿児島県出水市など数カ所。ごくわずかとなりましたが、昔は日本各地に飛来し、博多周辺でも優美な鶴の姿が見られたようです。
 太宰帥大伴旅人(だざいのそちおおとものたびと)は赴任してまもなく、この地で妻を亡くします。その身も心も癒したいと入浴した吹田(すきた)の湯〔二日市温泉〕では、絶え間なく鳴く鶴の声に自分の嘆きの気持ちを重ね
   〜湯の原に鳴く蘆鶴(あしたづ)はわがごとく妹に恋ふれや時わかず鳴く〜
と詠み、都に帰った後、太宰府の友に贈った歌では
   〜草香江(くさがえ)の入江にあさる蘆鶴(あしたづ)のあなたづたづし友なしにして〜
と心細い心情を吐露しています。
 西公園の展望台に立って東の方を見ると、立花山が聳え、そこから海の中道が腕を伸ばし、その先に志賀島が見えます。立花山の麓あたりの海が香椎江です。天平八年(七三六)、維新羅使一行は筑紫の館(たち)に逗留し、次のような歌を「万葉集」に遺しています。
   〜かしふ江に鶴(たづ)鳴き渡る志賀の浦に沖つ白波立ちし来(く)らしも〜
この歌の作者は、きっと荒津山(西公園)の此処に立って風光明媚な景色を眺めながら、ふるさと“都”に思いを馳せたのでしょう。
 荒津の海からは遣唐使も船出していきました。息子を遙かな旅に送り出した母は
   〜旅人の宿りせむ野に霜降らばわが子はぐくめ天(あま)の鶴群(たづらむ)〜
と詠みました。
 鶴は天空を翔けはるかな旅路に身をゆだねます。そんな鶴に想いを託した万葉人の情感は、飛行機でひとっ飛び出来る現代人の私達にも、何かを語りかけているようです。



【彼 岸】
「悟りの世界へ渡る修行をする日」というと、なんだか難しそうに聞こえますが、お彼岸には本来こういった意味もあることをご存じでしょうか。迷いの多い「比世」と、悟りの世界の「彼岸」。この二つの世界をつなぐのが彼岸会です。
 その昔、仏教では、一年中(三百六十五日)を彼岸とし日々の生活の中で六波羅密を実践するようにと教えていました。ところが、修行僧でもないかぎり、さすがにこれは大変なことです。そこで、春分と秋分を選び、その前後の七日間に彼岸会をするようになりました。亡くなって仏となったご先祖たちを供養し、感謝してお墓参りするのも、実はその行のひとつなのです。
 お彼岸の代表的なお供え物はぼたもち(おはぎ)です。春にはぼたもち、秋にはおはぎと呼びますが、実は同じ物なのです。春の場合は、やがて咲く牡丹の花に似せて、秋の場合は、萩の花の咲くころにつくる餅だから、ということでした。自然を見立てる日本の美的センスにまた感心しました。

六波羅密とは…
布施(施し)・持戒(戒律を守る)・忍辱(がまん)・
精進(努力)・禅定(心の統一)・智慧(正しい洞察力)

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