2004年【卯月号】
vol.42

 福岡市は、日本の中で地理的にも朝鮮半島や中国大陸に最も近く、歴史的にも外交・防衛を任務とした「大宰府」の港として発展してきた都市です。  
 海に開かれた活力あるアジアの拠点都市。
こんなキャッチフレーズが似合う都市です。
その福岡市のシンボルともいえる遺跡が鴻臚館跡です。  
 鴻臚館は古代の迎賓館兼貿易センターともいえる施設で、平安京(京都)・難波(大阪)・筑紫(福岡)の三カ所に置かれましたが、その遺跡が確認されたのは筑紫の鴻臚館だけです。
 江戸時代以来、鴻臚館は福岡市の旧福岡城下ではなく、商人の町博多の官内町(中呉服町)あるいは竪町(中呉服町・下呉服町)にあったとされてきましたが、大正時代になって、九州帝国大学医学部教授中山平次郎博士が、陸軍歩兵第二十四連隊の兵営内、つまり福岡城や平和台球場があった現在の場所だという意見を発表されたのです。
 鴻臚館は当初筑紫館といっていたのですが、筑紫館に滞在した遣新羅使の歌(『万葉集』巻十五)が発見の手がかりとなりました。

   神さぶる荒津の崎によする波間なくや妹に恋ひわたりなむ
   今よりは秋づ来ぬらしあしびきの山松かげにひぐらしなきぬ

 また、鴻臚館の近くに「警固所」があったということが史料に出てきます。「警固」という地名は「警固所」の名残ではないか。荒津や警固に近く山松陰にヒグラシが鳴くような場所。そして博多湾周辺の古代の地形の変遷なども調べ、鴻臚館があった場所は、福岡城のあった海に近い高台しかないと考えられたのです。陸軍の兵営内に入れるチャンスは年一度。招魂祭と翌日のどんたくの二日間だけでした。兵営内に入り、都府楼跡から出るのと同じ瓦や青磁のかけらをたくさん見つけた博士は、小躍りしたに違いありません。 この瓦は「鴻臚館式瓦」と名付けられました。
 それから六十数年後、平和台球場の改修工事中に博士の説は証明されたのです。今では発掘調査も進み、いにしえの迎賓館の実像が次第に明らかになっています。


鴻臚館跡展示館内
【ツツジ】
 福岡県の木がツツジであるとすぐに思い浮かぶ人はどのくらいいらっしゃるでしょうか。
 ツツジの花言葉は、節制、情熱。それに、悪環境でも美しく咲き誇るという意味があるそうです。言いかえれば、環境の違いに適応し、多種に分化していく性質の植物ということになります。県の木に制定されたのは昭和四十一年九月五日。”みどりのニッポン全国運動“ でのことでした。
 ツツジは北半球全域に自生し、現在、観賞用に改良されたものも含めて、約二千種類あるといわれます。石楠花、エリカ、馬酔木など、意外な花木もツツジ科に分類されることから、その土地くでの繁殖の強さが想像できます。
 艶やかなサクラの花が散った頃、やっと出番が来たかと咲き始めるのもツツジの特徴です。この個性に魅せられたかどうか、万葉集や源氏物語などの古い文献に登場するほど、日本人には馴染みの深い植物でした。
   ちなみに、県の花は梅、県の鳥は鶯です。福岡は春爛漫のお国といえそうです。

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