2004年【長月号】
vol.47

 いよいよ秋到来。どんたく、山笠とならんで博多の人にとって楽しみなお祭「放生会」が、九月十二日〜十八日の一週間、筥崎宮で行われます。海岸に至る一キロの参道に七〇〇余りもの露店、「高もん」と呼ばれた見せ物小屋が並び、大変な賑わいです。

  ここはナーエエエ ここは箱崎 ヤロヤロヨ
  お汐井道ヨ 道のナー エエエ 右も左も エー松ばかりナー

博多町人文化連盟の人たちによって再現された「幕出し」の行列が「博多長持ち唄(はかたながもちうた)」を歌いながら繰り込んできます。
 大正時代まで、博多の町の人は、幔幕や煮炊きの道具、ごちそう等を長持ちに入れ、松原のそこ此処に町内や店ごとに幕を張り、一日中楽しみました。券番も松原に臨時出張所を出し、幕出しの宴席に興を添えました。山笠の時、縁の下の力持ちとして活躍したごりょんさんは、ご褒美に買ってもらった新しい晴れ着「放生会着もん」を着て参拝しました。
 そもそも放生会は、八幡宮の根源の社である宇佐八幡で、神亀元年(七二四)の託宣(神様のお告げ)によって、戦いで亡くなった隼人の霊を鎮めるために始められ、全国の八幡宮でもっとも大切な祭りと位 置づけられています。筥崎八幡は延喜二一年(九二一)の託宣によって、嘉穂郡の大分宮から箱崎の地に移座されますが、その理由の一つとして、箱崎が放生をするのにふさわしい地であることが述べられています。
 放生はもともと仏教的行事ですので、明治維新の分離によって禁止され、放生会は「仲秋祭」と呼ばれるようになりました。宇佐八幡では現在仲秋祭として行われていますが、筥崎宮では、博多の人々が根強く「放生会」と呼び続け、昭和三一年には、九〇年ぶりに亀や鳩、鯉などの生き物を放つ放生行事も復活し現在に至っています。
 昭和四六年に復活したチャンポン(ビードロ)も、さわやかな秋の音色を響かせています。


放生神事(稚児行列)
【ふとんの今昔】
「ふとん」を日常的に使い始めたのがいつごろかご存じですか。ふとんというと四角の組み合わせが当たり前だと考えがちですが、このスタイルが定着したのは、実はそんなに古いことではないのです。
 江戸時代までの寝具は畳に夜着といった程度のもので、当時は限られた階級の人だけが使用していました。
服部嵐雪が
  「ふとんきて 寝たる姿や ひがし山」
と詠った頃でも、ふとんはまだまだ高級品で、庶民は草などをつめた麻袋やむしろなどで眠っていたといいます。
 明治になって、ようやく寝具らしいものが庶民に広がったのですが、この時代から考えると、今の寝具はずいぶんと贅沢に進化したものだといえそうです。最近では、真綿・羽毛・洗えるもの・みのむしふとんなど、素材やデザインも豊かになり、飽くなき睡眠欲を優しく包み込んでくれています。
 そんな「どうでもよいこと」をぼんやり考えて眠りに就くと、一日の疲れが、またちょっと癒されるような気になります。

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