2005年【睦月号】
vol.51

  

 今年は、石村萬盛堂創業百周年のよき年にあたります。
 創業の地は博多区中対馬小路三六・七番地。オッペケぺーで名高い川上音次郎の家の一隅を借りての創業でした。
 対馬小路は上対馬小路・中対馬小路・下対馬小路からなり、博多でもっとも長い縦町筋でした。対馬小路の大下(おおしも)の浜に、宗対馬守義智が豊臣秀吉から拝領した対馬藩の蔵屋敷があったことから対馬小路と呼ばれたといいます。
 秀吉の太閤町割りは、「博多の町を七条の袈裟になぞらえ、七七四九願をあらわし、博多を一山の七堂伽藍にたとえた」といわれ、山笠の七流れや、奧堂・普賢堂・石堂などの七堂に今もその名残りをとどめていますが、対馬小路も七小路(一小路・中小路・金屋小路・奧小路・古小路・浜小路・対馬小路)のひとつに数えられています。
 明治になって灯台や商品陸揚げの船着き場や魚市場ができ、萬盛堂の近所には、人参風呂屋・専売局出張所・白玉 餅屋・竹田屋酒造場・吉野建具屋・砂糖屋淵上・魚問屋淵上・今泉米穀店などが軒を連ね賑わいをみせていました。
 しかし戦災ですべてが焼亡し、さらに昭和四十一年の町界町名変更により、対馬小路の名は残りましたが、この区域に入ったのは下対馬小路だけ。中対馬小路と上対馬小路は古門戸町と須崎町を境する道となりました。
 道路も町の様子もそこに住む人々も、百年前とは大きく様変わりをしました。ただ、現在は古門戸町になっている澳(おき)浜稲荷の境内に立つ、「川上音次郎生誕の地」碑などが、ひっそりとこの町の歴史を物語っています。


澳浜稲荷      「川上音次郎生誕の地」碑
【祝いめでた】
 博多の目出度い場面に、特に打ち合わせすることもなくごく当たり前に歌われる「唄」があります。「博多祝い唄」、通 称『祝いめでた』です。
 『祝いめでた』のそもそもの起源は、江戸時代の伊勢参りに歌われたはやし音頭です。この音頭は、伊勢神宮の遷宮のために用材を運ぶ木遣唄として親しまれ、参宮客の「荷物にならない伊勢みやげ」として全国に持ち帰られました。これが博多にまで伝わって、博多の日常生活に溶け込んだといわれます。
 歌詞が同じで、違う節回しの歌が日本各地にたくさん残っていることからも、当時の伊勢参りの流行をはかり知ることができますね。
 祭りともなれば、先輩から歌い方の指導もあるほど祝い事には欠かせない唄。
♪ 祝いめでたの若松さまよ 若松さまよ
   枝も栄ゆりゃ葉も茂る
   ※エイショウエ エイショウエ
    ションガネ アレワイサソ エサソエ ションガネ
 年のはじまりに、まず一節。今年は何度この唄が歌われるでしょうか。

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