2007年【弥 生 号】
vol.77

酒は飲め飲め飲むならば
日の本一のこの槍を
飲み取るほどに飲むならば
これぞまことの黒田武士

福岡を代表する民謡「黒田節」は、もともと雅楽「越天楽」の旋律に様々な歌詞をつけ、「筑前今様」として親しまれてきた歌の一つで、福岡藩士高井知定が黒田武士の心意気を称賛してつくったものでした。昭和三年NHK福岡放送局の井上精三氏が「黒田節」と命名して全国放送して以来、
「黒田節」として全国に知られるようになりました。
 この歌にうたわれる「黒田武士」、母里太兵衛は本名母里但馬友信といい、若い頃から黒田如水・長政親子に仕え、黒田二十五騎の一人に数えられた六尺豊かな勇猛の武士でした。小田原攻めの祝宴が京都伏見で開かれた日、黒田の使いとして福島正則の屋敷に行った母里太兵衛に、福島正則は大盃の酒を「飲め、飲め」と迫ります、「飲みませぬ」と固辞する太兵衛でしたが、「飲みほせば何でも望みの物をとらせるぞ」という正則の所望にとうとう断りきれず、その酒を飲みほしたのでした。
 太兵衛が所望したのが「名槍日本号」。この槍は賤ヶ嶽の戦いの褒美に、豊臣秀吉が正則に与えた槍でした。関ヶ原の戦いの折りには、太兵衛はこの槍を携えて、大阪から主君の妻子を脱出させたと伝えられています。
 数々のエピソードをもつ名槍「日本号」は、現在、福岡市博物館に展示されています。総長三メートルをこえる長い槍で、刃の長さは、七九・二センチ、平三角の直刃で、三鈷剣にからみつく倶利伽羅竜が彫ってあり、柄はキラキラ輝く螺鈿で覆われた大変美しい槍です。
 黒田家が筑前五十二万石の藩主となった後、母里太兵衛は嘉麻郡(嘉麻市)大隈城の城主となり、この地で亡くなり、この地の鱗翁寺に閑かに眠っています。


「母里但馬守太兵衛友信象」(光雲神社・西公園内)

【雛人形】

 三月の節句に雛人形を贈答する風習があります。贈られる人形にはいろんな思いが込められています。
 昨年、あることでお世話になった方に、お礼として、ちょっとした雛人形を贈りました。還暦をゆうに過ぎたその女性は、長い間、ご主人と二人の息子さんに囲まれて生活しておられました。包みを開けたその掌には、小さな雛人形が二つ。「ずっと男ばかりの家の中にいて、三月の節句なんて縁がなかったのに、この年になって自分のために雛人形を頂くなんて思ってもみなかったわ」と、ぱっと乙女心に灯がともったような明るい表情で喜んでくださったことをよく覚えています。
 贈ったり、贈られたりする雛人形には、きっとそれぞれの物語があることと思います。雛人形での町おこしがあちこちで盛況なのは、華やかさはもちろんのこと、その人形たちが持つ歴史を感じることができるからかもしれませんね。
 そんなことを思いながら、今年の雛祭りを楽しんでみるのも一興かもしれません。


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