2005年【霜月号】
vol.61

平成17年10月9日、鮮やかに晴れわたった青空の下、柳筥に納められた御幣帛を捧持して、天皇陛下のお使いである勅使が香椎宮にご参向になりました。御神前に進まれた勅使は、黄色の鳥ノ子紙に書かれた宣命(天皇陛下が神に申し上げられる祝詞)を読み上げ、直接ご祭儀を執り行われました。
このように勅使が参向する勅祭社は、現在、伊勢神宮、熱田神宮など全国に17社しかなく、九州では大分の宇佐神宮と香椎神宮だけです。香椎宮への勅使参向は天平9年(737)以来今日まで137度行われ、ことに古代においては天皇の即位の際や対外交関係の緊張時に奉幣が行われています。中世の乱世にこのような盛儀も中断していましたが、延享元年(1744)の復興以来、甲子の年を以て勅使差遣の年と定められ60年に一度行われ、大正14年(1925)以後は十年に一度と勅定されました。
JR鹿児島本線東側にある頓宮(お旅所)から香椎宮本宮に至る 約1キロメートルの見事な樟樹の並木道は、勅使が通られる道、勅使道です。この樟樹は、大正11年(1922)の貞明皇后のご参拝と、14年の勅使参向を記念して大正15年2月11日の紀元節に植樹されたものです。皇族の地方行啓が今日のようにはなかった時代、大正天皇の皇后の九州ご訪問は「2000年前の神功皇后の筑紫に址を垂れさせ給ひし以来の盛事」と大変な盛り上がりを見せ、数々の記念行事が行われ、福岡県下に数多く伝わる神功皇后伝説を集めた『飛簾起風』という本も出版されました。
香椎宮は、筑紫橿日宮で崩御された仲哀天皇の神霊を、神功皇后躬ら祀られたのを起源とし、養老7年(723)の託宣によって、神功皇后を併せ祀る神廟が神亀元年(724)創建されました。「香椎廟」あるいは「香椎廟宮」といわれたように一般の神社とは異なるあつかいを受け、廟司以下舎人・主船・厨戸など約600人の人々が奉仕していました。
全国唯一の様式である香椎造の社殿(国重文)や、中門側の「御手水所」「御祓所」「御l脱剱所」「衛士居所」などと彫った勅使参拝の昇殿の順序を示す標石が、ご神木の綾杉をはじめ天をつくす杉木立に囲まれ、閑かに歴史の重みを語りかけています。

                             香椎宮勅祭

【マナーの話】

 最近、冠婚葬祭の行事が多く、その都度マナーについて学ぶ機会が続いています。
知っているとなんてことないでしょうが、はじめて当事者となる行事では、いざという局面にどきどきしてしまいます。
たとえば、お祝いの熨斗一つでも、結び切りと蝶結びがあり、場合によって使い分けなければならないとか、お礼の品を持って伺うときには風呂敷や袱紗を使うと丁寧なのだとか。自分は、一体、世間一般のマナーをどれだけちゃんとできているだろうかと、疑問を持ってしまうこともしばしばです。
しかし、マナーは、もともと思いやりや真心を表すためにあるのだと分かると、「知らなくて怖いな」という発想から、「もっと知ってすてきな人付き合いに役立てたいな」と思えるようになってきました。
相変わらずどきどきはしながらも、さらに色んなシーンの色んなマナーを学んで、相手を幸せな気持ちにする「感性」を磨いて行きたいと思うこのごろです。

Copyright(C) 2003 Ishimuramanseido Co.,Ltd. All rights reserved

           |前頁歳時記TOP次頁