2006年【長月号】
vol.71

 博多小学校のある辺りは、現在広い範囲で奈良屋町となっていますが、昭和通に平行してその浜側、博多小学校の西に連なる町を昔「古渓水」といっていました。古渓町は、安土桃山時代にこの地に住んだ、京都紫野大徳寺の古渓和尚によるものです。
 古渓和尚は豊臣秀吉や千利休と親しい間柄にありました。ある時、千利休は大徳寺に山門を寄進しますが、その楼上に自分の木造を安置したのでした。それとも知らずに山門をくぐった秀吉が、後にこの事を知り激怒、千利休に切腹を命じるとともに大徳寺の打ち壊しを命じました。古渓和尚は身を挺してこれを中止させましたが、流罪になり筑前領主小早川隆景(こばやかわたかかげ)にお預けの身となりました。
 博多の豪商神屋宗湛(かみやそうたん)・島井宗室(しまいそうしつ)等は、庵室大同庵を建てて温かく和尚を迎えました。博多の人は和尚を「古渓さん」と慕い、博多は和尚にとっては住み心地良い離れがたい地となっていきました。三年の歳月がすぎ許されて京へ帰る時、古渓和尚はせめてものご恩返しにと、庵の井戸に向かって両手の指で「水印(すいいん)」を結び、火除けの祈りを込めました。あるいは、錫上(しゃくじょう)を突き立てたところ清水がわき出したとも伝えられています。都市の生活では火災は疫病とともに最も恐れられていました。
 古渓和尚が祈りを込めた水は、家に注ぐと火事がおきないといい、またその後、付近に火事があった時には必ず、黒衣の僧が忽然と火の中に現れてこれを消してしまうのだと言い伝えられました。
 その後大同庵は報光寺境内に移されました。井戸の傍には、水印を結んだ古渓和尚の木造を安置した「古渓様」があり、火消の水符をだしていました。昭和二十年の空襲で灰燼(かいじん)に帰してしまいましたが、平成十二年に旧町名の石碑があるところに復元され、現在も火難除けに霊験顕著(れいげんあらたか)として、地域の人々に大切にされています。

【残暑見舞い】
 残暑の厳しさには、スパイシーな食べ物で元気回復を。と、思い浮かんだのがカレー南蛮うどん。ダシとスパイスの深みが麺と絡まり、喉の奥で広がる刺激がたまりません。
 「なんばん」というと唐辛子を想像しそうですが、元来は大阪・難波の「なんば」が転じたものであるということをご存知でしょうか。難波の近くで採れたネギ(長ネギ)を使うので「カレー・なんば」だそうで、今でも店によっては、あえて「なんば」の名称を用いているところも少なくないと聞きます。
 このカレー南蛮うどんが生まれたのは、明治時代。当初は、日本人のセンスでは考えられない組み合わせに、「ゲテモノ」扱いされていたといいます。今でこそ大半のうどん店で扱っているほどメジャーですが、確かに、初めて試した人はチャレンジ精神が旺盛だったのだろうと想像できますよね。
 厳しい暑さはもうしばらく続きます。食べ物で夏バテを回避するのに、あなたならどんな一品をチョイスしますか?

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