2001年【卯月号】
vol.6

 福岡市は那珂川をはさんで、東の商人のまち博多と西の武士のまち福岡が合併してできた双子都市。明治二十二年四月一日、内務省の告示をうけ、県知事安部保利が出した県令四十二号により、正式に発足した。当時の市域は東は石堂川、西は樋井川、南は国体道路辺りまで。人口は五万八四七人。初代市長は山中立木だった。
  「福岡」という地名は、慶長五年(一六〇〇)筑前入国した藩主黒田氏が、先祖の地備前国福岡郷(現岡山県邑久郡長船町福岡)にちなんでつけた地名。国際商業都市として栄え、千三百年になんなんとする「博多」に比べれば、歴史の重みも違う。新しい市の名が「福岡市」に決着するまでには大変な紆余曲折があったのである。
  市の名称をどうするかはもちろんのこと、市の枠組みにしても、博多では福岡と分離して別個の市を形成しようという動きが出た。一方福岡では経済的理由等からこれに反対する意見が多く、「福岡日々新聞」などマスコミでも分離反対のキャンペーンが繰り広げられた。結果 、福岡と博多が合併して「福岡市」が誕生したわけだが、憤懣やるかたない博多部出身議員から翌二十三年二月の市会議で、「福岡市を博多市に改めるべきだ」との建議がなされた。八日後に議決に及び、結果 は賛否同数。最終的には議長の判断で「市名変更すれば市の調和を破る恐れがある」ということで一応ケリがついた。
  博多の人々は鉄道(現JR)の駅名が「博多駅」となったことでわずかに慰められたというが、市名問題はその後も度々再燃した。
  しかしそれも今は昔。現在の福岡市は博多が担ってきた歴史を踏まえ、「海に開かれた活力あるアジアの拠点都市・ふくおか」をキャッチフレーズに、景気低迷の続く日本の中にあって、もっとも元気な都市として内外の注目を浴びている。


仙がい画「博多湾図」(福岡市美術館所蔵)
【春の馬酔木(あしび)】
 ほんわか陽気に誘われて、森の中を散歩する。卯月。どこからかしら、冬にはなかった、嗅覚をくすぐる、甘い、蜜の薫り。みわたすと、スズランによく似た小花を、木から溢れんばかりに垂れ咲かせている、たわわの馬酔木。
  万葉時代を代表するこの木は、馬や鹿がこの葉を食べると、しびれたようになるといって、「ウマ酔いの木」という文字があてられた。「馬酔木の森」というのが、奈良公園の原生林、春日飛火野辺りにある。普段なら、木々の新芽を食べる公園の鹿たちでさえ、馬酔木だけは食べることがなく、自然と繁茂して、この森が成長してしまったというのだ。
  その、甘く、可憐で、愛おしい姿の内には、毒。このギャップが、ますます五感を刺激するのかもしれない。
そしてまた、甘い薫りを風に乗せ、春の小道を楽しませてくれるのだ。

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