2001年【皐月号】
vol.7

 旧博多部の、大浜・奈良屋・御供所・冷泉の四つの小学校が統合した博多小学校は、このほど奈良屋小学校の跡地に、新しい校舎が完成し、博多っこの期待を集めて移転開校した。
 壁のない教室、ホールも兼ねる「表現の舞台」といわれる広い階段、職員室の代わりに各階に設けられた教師コーナーなど、斬新なアイデアいっぱいの校舎は、開かれた学校、地域社会との共生を目指して設計された。
  新しいものばかりではない。奈良屋小学校にあった空襲を受けた教室はそのままに遺され、校舎の建設に先立つ発掘調査で発見された、元寇防塁と考えられる石塁も見学することができる。蒙古の来襲に備えて博多湾岸約二〇キロメートルにわたり築かれた石築地は、九州九ヶ国が分担して建治二年(一二七六)三月から半年で築かれ、完成後はその部分の築造者が警固を行った。この辺りは筑前・筑後の担当箇所だが、それにしても鎌倉時代の海岸線はずいぶん内陸にあったものだ。
  石塁が発見された所より海側からは、一五世紀後半から一七世紀にかけての立派な町屋の跡が検出され、ロザリオの先に付けられたメダイも出土した。国際色豊かな商都を垣間見た想いだ。
 旧奈良屋小学校の玄関には豪商神屋宗湛の博多人形が飾ってあり、ここが神屋宗湛の屋敷跡だと聞いて育った。そして校歌には、
  しのべの歴史の宗湛の 徳を博多のかがみとし 文化はおこる新しく‥‥ 
と、歌い込まれていた。
 幾多の歴史を秘めた校地に建つ、モダンな学校。ここから巣立つ子供たちはどんな歴史を創っていくのだろうか。


斬新なオープン教室



博多小学校校内にある石塁遺構展示室

3月に新校舎が完成した博多小学校
【キイチゴ】
 爽やかな五月晴れ。日曜日の散歩の途中に、キイチゴの自生する一角に遭遇した。
 青々と繁らせた葉やヘタのなか、深い赤の小粒たちが、ひょっこり顔を見せている。
 それが何とも云えず、愛らしい。
 そういえば、平安時代の清少納言が、キイチゴの愛らしさを『枕草子』にこんな風に書いている。
  「あてなるもの…いみじう美しき児(ちご)の覆盆子(いちご)などくひたる…」
(「愛くるしいもの」っていうと、それはね、とっても可愛らしい童が、イチゴなんかを食べている姿だわ…)
  当時の法典『延喜式』にも、このときすでに「イチゴ」の栽培が始まっていたことが書いてある。ヨーロッパの国々でイチゴ栽培が始められたのが、十四世紀になってからなので、それにくらべると、日本は四百年も先駆けていたことになるのだ。日本人とイチゴは、意外と付き合いが深いんだな。
  やわらかな初夏の日差しに包まれたイチゴたちを見つめていると、その愛らしさに、思わず笑みがこぼれてしまう。

Copyright(C) 2002 Ishimuramanseido Co.,Ltd. All rights reserved

           |前頁歳時記TOP次頁