2004年【文月号】
vol.45

「濡れ衣を着る」という言葉があります。この言葉の起こりについて、博多に悲しい物語が伝えられています。
 聖武天皇の頃、佐野近世という人が都より妻子を伴い、筑前守として下ってきました。その妻は美しい娘春姫を遺し亡くなり、近世は後妻を娶りましたが、この女は春姫を疎んじ亡きものにしようと、漁夫にいろいろの財宝を与えてそそのかし、「姫が夜な夜な私の所にやってきて釣衣を盗むのです」と近世に訴えさせました。近世が娘の寝所に行ってみると、なんと娘は濡れた衣をかぶって寝ているではないですか、近世はカッときて即座に娘を斬り殺してしまいました。
 次の年、父の夢枕に春姫があらわれ、

   ぬぎ着するそのたばかりの濡れ衣はながきなき名のためしなりけり

   濡れ衣の袖よりつたふ涙こそなき名をながすためしなりけり

と二首の歌を詠じました。
「娘は無実であったか。継母のしわざであったか」と悟った父は妻を離縁し、自分は出家して肥前松浦山に住んだ。と伝えられています。
 春姫の墓と伝える濡衣塚は、石堂川沿いの石堂橋と東大橋の間にあります。人の背丈ほどもある玄武岩の自然石に、上に大日如来、左下に天鼓雷音如来、右下に宝幢如来を表す梵字がくっきりと刻まれ、その下にもう消えかかっていますが、南北朝時代の康永三年(一三四四)にこれが建てられた事などが書かれています。傍らには長い年月を経たことを思わせる十三仏の石仏や宝篋印塔などがまつられ、「濡衣塚大師堂通 夜堂改築」の記念碑には、寄付をした博多の人の名がたくさん記されています。
 頭上には都市高速、すぐ横は車がひっきりなしに行き交う国道三号線の傍ら、古い博多の歴史と、博多の人の心を感じさせるスポットです。


濡衣塚(ぬれぎぬづか)(石堂橋)
【菊のお線香】
クロアチア生まれの白い小菊が、かつて、蚊取り線香の主成分だったことをご存じでしょうか。この小菊が日本にやってきたのは明治のはじめ。防虫菊という名前で紹介され、生まれ変わって広く日本中に親しまれていました。
 当時の蚊取り線香は、菊の花粉を線香に練り込んだごくシンプルなものだったといいます。ところが戦後、科学の進歩で防虫菊の類似化合物が開発されると、それが主流となって、手のかかる菊の栽培はほとんどなくなってしまったのでした。
 最近、無農薬農法やオーガニックの立場から、ふたたび防虫菊の作用を見直す活動が盛んになっています。その中でも、菊のお線香は注目度ナンバーワン。今の「蚊取り線香」から見れば、「蚊遺り線香」といったほうがしっくりくるのですが、からだに害のない天然の防虫剤が復活し、注目を浴びているのは嬉しいことです。
 渦巻きの姿は今でも健在。つつぅ〜っとのぼる優しい煙に、「天然」の深さを感じる夏の日が送れそうです。

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