2001年【師走号】
vol.14


 二十一世紀最初の年は波乱にとんだ年だったが、それも残りあとわずか。大晦日には年越しそばを食べ、来る年の平安を祈りたい。
 年越しそばのことを博多では「運そば」という。それには「大楠様」と、博多の人々が敬愛を込めて呼ぶ謝国明にまつわる逸話がある。
 鎌倉時代のある年、博多の町は飢饉と疫病流行のため多くの人が亡くなり、生きている者も餓死寸前、まさに困窮の極みにあった。
 その年の大晦日、謝国明は、「どげんして年越ししたもんか」と途方にくれる博多の人々を承天寺に呼び寄せ、「さあさ、縁起直しにどうぞ。」と、宋より持ち帰り貯えていたそば粉と麦粉で作った「かゆ餅」を振る舞った。かゆ餅とは今でいう「そばがき」のこと。元気を取り戻した博多の人はそれ以来大晦日に「運そば」を食べるようになったと伝えている。
 謝国明は宋と日本をまたにかけて大活躍した博多綱首(ごうしゅ)。「綱首」という聞き慣れない語も、最近は大河ドラマですっかりお馴染みになった感がある。綱首とは船を所有し自ら船に乗り込んで貿易活動を行う商人のことで、海外への門戸であった博多には、平安時代末頃より多くの外国人商人が住んでいた。謝国明は、宋の臨安出身で櫛田神社の近くに住み、謝太郎国明という日本名をもっていたという。玄界灘に浮かぶ小呂島を領有し、承天寺建立の際には、野間・高宮等の土地を購入して寄進している。
 謝国明は、貿易で得た巨万の富を寺院や博多のために惜しげもなく使い、また鍼薬の術によって病気を治したりもした。墓は博多駅前一丁目出来町郵便局の隣にある。その墓はいつしか巨大なクスノキに包みこまれてしまい、それ故、博多の人たちは「大楠様」と呼ぶようになった。
 今でも博多の人たちは千燈明祭を行い、謝国明に感謝の気持ちを捧げている。

謝国明の墓
【夜神楽】
 十二月も中頃を過ぎると、いよいよ正月をむかえる準備がはじまります。いろんな風習がありますが、この時期の「夜神楽」をご存知ですが。舞、リズム、酒、たっぷりの時間。夢うつつの眠気まなこに、シンと冷えた夜の空気。そして神々と交流しようという純粋な人間の想い。これが夜神楽にあるものです。
 夜神楽は、一年間の間に纏った心の垢を、一晩中、メいっぱい遊んで吹き飛ばそうという神事芸能。真剣に遊ぶ姿勢には、下手な映画やテレビドラマより、よっぽど「人間臭さ」を感じさせる何かがあります。観客を虜にするだけの演出が用意されているのも、夜神楽の特徴。
 今では、山里や過疎地域などがその伝承場所となっていますが、秘境めいた雰囲気は、神秘性にいっそうの拍車をかけているよう。
 年の瀬のしめくくりに、日本のどこかで、こんな夜を過ごす人がいるとは…。
 日本の奥深さに、ただただ感心するばかりなのです。

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