2002年【睦月号】
vol.15

  

 正月があけると間もなく、日頃は閑かな東公園の一角がにわかに大賑わいする。露店がたちならび、人・人・人の波の其処此処にさげもん(福笹)がゆれ、当たりくじを読み上げる声が威勢よく響く。
 ここは十日恵比寿神社。
 今から四百年ほど前の天正十九年、武内五右衛門という人が、香椎宮、筥崎宮に参拝した帰り、浜辺通 り潮崎で夫婦の恵比須像をみつけ、自宅に祭ったところ、商売繁盛のご利益を得たので、翌文禄元年(一五九二)正月十日、恵比須様を拾った所に社殿を建て、十日恵比須と称したのがこの神社のはじまりと伝えられている。
 祭りは、一月八日の初えびす、九日の宵えびす、十日の本えびす、十一日の残りえびすと続き、商都博多の人々が続々やって来て、開運、商売繁盛を祈る。九日には、博多那能津会が囃す「十日えびすの唄」三味線、笛、太鼓の音にのって、券番のきれいどころが、島田に稲穂のカンザシを挿し、紋付正装、裾ひき姿で華やかに「かち詣り」をする。
 縁起物は、えびす銭に福笹。-
 えびす銭は、商いの元金となる種銭で、恵比須様から借り受け、翌年倍にして返し、また新しい年のために借りて帰るというもの。十日恵比須神社では、昔の一文銭がだされ、財布の御守りに多くの人が受けている。福笹は、笹にお姿(恵比須さまの姿絵)・大福帳・たばねのし・千両箱・桝(ます)・こづち・宝珠・鯛・ふぐの飾り物をさげたもので、ここから「さげもん」ともいわれる。
  それでは、「ショーバイハンジョウ、笹もって来い!!」


十日恵比須神社
【富士山】
 富士山が初めて書物に登場するのは、八世紀はじめの『常陸国風土記』。凄まじい噴火の繰り返しと、それによって成った富士山の造形美「フジヤマ」は、古来より、多くの日本人に、限りない憧れと畏怖を抱かせてきました。
 フジは、福慈・不二・附神。もともと急傾斜の地形を表す言葉には、こんな当て字が使われています。
 歌、絵、伝説など、富士山を題材にした作品が実に多いこと。それだけ人々の心を刺激するパワーは、いったい何かしら…。
 実は富士山、「人間でいえば、まだまだ幼年期の火山」だそう。現在のかたちは、三つの火山が積み重なった複合火山で、この先、さらに姿を更新していく可能性だってとても高いといわれています。
 「完成美」と思わせといて、否。つねに内側から噴火し、崇高なばかりの姿を作り続けてきたありかたこそが、この山を「めでたさの象徴」とする由縁なのかもしれません。日本人の「サガ」を、改めて考えさせてくれる、富士山なのです。

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