2000年【霜月号】
vol.1

  

 「川上音二郎と一九〇〇年パリ万国博覧会展」という展覧会が福岡市博物館で開催されている。(十一月十二日まで) 展示室に入ると、まるで百年前の世紀末、花の都パリに迷い込んだよう。アール・ヌーヴォーの品々や、二十世紀を予言するような当時の新技術がなつかしく目を惹く。
 そこに、いきなり聞こえてくる「オッペケペッポー・ペッポッポー」。川上音二郎が軽快な音階で歯切れよく世情をきった オッペケぺ節だ。
 博多中対馬小路に生まれ、新演劇の祖と称される川上音二郎の一座は、このパリ万博で大喝采を博した。
 じつは萬盛堂は音二郎とは浅からぬ縁がある。日露戦争の勝利にわく博多のまちで、先々代石村善太郎は音二郎の家の一角を借り、鶴乃子石村萬盛堂を創業した。その家賃は音二郎の計らいで、博多の総鎮守櫛田神社に納められていたという。
 明治四十四年十一月十一日、音二郎は波乱に満ちた四十八年の生涯を大阪で閉じた。大阪での盛大な葬儀の後、遺骸はこの家に運ばれ承天寺に埋葬された。博多駅の近くに葬ってほしいという音二郎の遺言によるという。
 世界に雄飛し、ずいぶん派手な生涯をおくったかに見える音二郎だが、その心根は決して博多を離れる事はなかった。
※「川上音二郎と一九〇〇年パリ万国博覧会展」は平成十二年に開催されたもので、現在は開催されておりません。


創業当時の石村萬盛堂(川上音二郎の家)
【畳】
  元来、建築尺度から定まってきた畳のサイズは、「座って半畳、寝て一畳」といい、人間の居方と場所を定めてくれるものでありました。現代建築家が好む三間(五・四m)という尺度は、三間×三間、十八畳。これは元々能舞台の寸法であり、蹴鞠のスペースであり、ボクシングリングのサイズでもあります。
 畳は人間の心の距離をはかる尺度の「基本」と考えられていて、他人と向き合って何かをする時、坐っていても立っていても、具合のいい大きさをあらわす目安ということになるようです。  距離というだけでなく、空気に触れて表情や匂いを変える畳は、一室で向き合う他人同士の微妙な心の間に入り込み、スッと優しく包み込んでくれる身近な母胎のような存在です。
 日本人の生活様式も洋風の面が多くなってきましたが、多くの家に今でも畳の空間が一部屋ぐらいは残されているのも、なんとなく、わかるような気がするのです。

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