2001年【睦月号】
vol.3

  

 博多を代表する伝統芸能松囃子は、現在では五月のどんたくに行われているが、元来は年の始めに松の常磐の緑にことよせて、その年を言祝ぐものであった。室町時代には京都の将軍邸をはじめ、全国で、町衆や村人が組を作り美しく着飾って歌い舞い、諸邸に参入して祝賀の芸を披露した。
  博多松囃子は治承三年(一一七九)に、小松内府平重盛(平清盛の子)の恩に感謝するために始めたと伝えられている。それはさておき、天文八年(一五三九)遣明船の船出に先立って一月六日・七日、松ハヤシが行われたことが『策彦和尚入明記(さくげんおしょうにゅうみんき)』に見え、博多の豪商神屋宗湛は、文禄四年(一五九五)、「名島城で小早川秀秋公に、福神・ゑびす等を正月のようにしたて、松囃子をお目に掛けた。」と日記に書いている。
  江戸時代には博多の町衆は、太閤町割の七流れによって、福神、恵比寿、大黒、稚児を受け持ち、一月五日より当番町の子供たちは締太鼓を打ち、めでたい詞の「言い立て」を謡いながら流れの町々を巡り、十五日には、福岡城に入り殿様の前で謡や祝言の舞を披露し、一束一本、酒肴などを頂戴した。三福神、稚児には、十歳くらいの女の子の頭に鶴の作り物を乗せた「鶴三十三羽」や傘鉾、通 リモンと言われる山車が数十台も従い、現在のどんたくの賑わいさながらであった。
  八二〇年と言われる松囃子の歴史で、それが途絶えたのは政情不安な時代か戦時中だけ。 松囃子が行われる限り「この世は平和なのだ」と言える。
  それでは、新しい世紀、二十一世紀を
  『祝うたア』

仙がい画「松囃子図」(福岡市美術館所蔵)
【盆 栽】
 一頃、南米出身のエアー・プラントという不思議な植物が流行った。
 インテリア感覚で、養土を必要とせず、2・3日おきに葉に水をかけてあげさえすれば元気でいるという。忙しい都会の女性達にとって、お手軽な心のオアシスと云えそうだ。
  エアー・プラントとは極にある生きもの。それが盆栽ではないだろうか。平安の時代に唐から渡ってきた美術品である。古来より今日まで、その魅力に取り付かれた人々の言葉からは、盆栽への並々ならぬ 愛情が伝わってくる。毎日の手入れと水遣り、目に見えぬ 根の部分に心を配るという苦労は、『お手軽』と言うキャッチフレーズは決して似つかわしくない。松にしろ、梅にしろ、育てた人の心が鏡のように反映される植物だけに、緊張感もヒトシオだ。その緊張感があるからこそ、愛着も湧くのだろう。
 たまにはお手軽も心地よい。だけど「根」を育て鍛え上げる大人の愛情感覚も大切なのではないだろうか。

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