2002年【葉月号】
vol.22

 大浜流灌頂は博多に夏の終わりを告げる行事。
 博多湾にほど近い大浜(現大博町)では、毎年八月二十四日から二十六日の三日間、道幅いっぱいの大灯籠を掲げ、家々の間口には「今月今夜」という文字と趣向を凝らした絵が描かれた花笠灯籠をともし、道の両側の軒端には提灯をさげ、仮設の施餓鬼堂(せがきどう)には大日如来をまつり、初盆の家から持ち寄った盆提灯を飾って、不慮の死をとげた人々の霊を慰める。
 流灌頂とは、一般に水死者や産死者などなどの供養のために流水に真言や南無阿弥陀仏と書いた塔婆(とうば)や幡(はた)を立て、その文字が消えることで成仏した証しとする行事である。
 博多では、宝暦五年(一七五五)の大風雨によって、多くの人が博多湾で溺死したり家屋の倒壊によって圧死した。翌六年には疫病が流行し、またまた多くの人が亡くなった。折しも、堅町浜(現大博町八)に隠居庵「知足庵(ちそくあん)」を結んでいた某大律師は、これらの人々の霊を供養するため知足庵に東長寺一山の僧侶たちを招き施餓鬼供養を行った。
 爾来約二五〇年、この行事は大浜の人々によって守り継がれてきたのである。昔は、広場に使い古した蚊帳を張りめぐらせて、岩山・森などの背景を造り、そこに山笠で使った人形などを配置した大仕掛けの造り物がつくられ、博多の風物詩として人気を博していたという。
 現在は三基しか建てられない大灯籠も、昔は十六基が辻々に建てられ壮観であった。これら大灯籠の絵の多くは、明治から昭和初期にかけて活躍した博多の絵師海老崎雪渓(えびすざきせっけい)によるもの。合戦の場面や妖怪などリアルな表現の物が多く、鬼気迫る。昔、子ども達は親に手を引かれ、露店のアセチレンの匂いをかぎながら、大灯籠に描かれた物語を聴き、命の大切さを学んだのであろう。現在ではユニバーシアード以来続いているブラジル留学生との国際交流や、盆踊りも合体して賑やかな祭りとなっている。御霊も年に一度の賑わいを楽しんでいらっしゃるだろうか。

海老崎雪渓画「大浜流灌頂大灯籠の絵」(福岡県有形文化財指定)
【簾の隙間】
日本の夏に涼を演出してくれる「簾」は、『万葉集』の時代よりあったと伝えられています。
   君待つと 我が恋ひをれば 我がやどの
   簾動かし 秋の風吹く     詠み人 額田王(ぬかたのおおきみ)
あなたがお出になるのを今か今かと待っておりますと、私の家の簾を動かして秋の風が吹きすぎてゆきます。簾が風に揺れただけで、あなたがいらっしゃったのかと「はっ」とする。あなたを慕うあまり、一時も安らぐ暇がないのです…。
「簾」は草の茎や細い竹を編んだ敷物を垂らした、空間演出の道具立てです。「すだれ」の「す」は、「隙間」の「す」のこと。簾の隙間は、内側からは明るい外を見せ、外からは暗い家の中を目隠しします。見えそうで見えないというもどかしさ、間接的な効果をうみだす空間具となり、季節を感じさせる実用品としても愛されてきました。「御簾」越しに恋い慕う人のことを詠んだ額田王。彼女の寝間には一体どんな「すだれ」が掛かっていたのでしょうか。

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