2002年【師走号】
vol.26



 
 今年も残すところあとわずか。師走二、三日の櫛田神社の夫婦恵比須(めおとえびす)の祭りがすむと、年の瀬は駆け足でやってきます。
 博多では十三日を「正月事始め」として、この日から煤払いをしたり、玄米を精(しら)げたり、門松を伐り出したりと、新しい歳神さまを迎えるための準備を始めたものでした。
 二十三日の愛宕さま詣りがすむと、あちこちの町家からペッタンペッタンと餅をつく音が聞こえてきます。賑やかな鉦(かね)、三味線のお囃子にのせてついているところもあります。二十九日はクモチ(苦餅)だといって嫌い、二十七日、八日に撞くところが多かったようです。一番臼でお鏡餅、つづいて神仏にあげるお供え餅、それから雑煮用など人が食べる餅をつきます。最後の臼はカイサシを多くしてやわらかくつき、塩味の小豆餡にまぶし「つきあげ餅」としました。今では、餅はスーパーで買ったり注文で済ませ、こんな光景も稀になりました。
 博多雑煮は昆布と焼きアゴを一晩水につけてダシをとります。このダシは大晦日の運そばのダシにも利用します。具には塩をした寒ぶり、椎茸、里芋、ごぼう、焼き豆腐などを入れますが、竹串に刺して準備しておくのも、ごりょんさんの知恵です。ゆでた餅に汁をはり、具を竹串からはずして入れ、青く湯がいたかつお菜を彩りに入れます。正月用の栗はい箸も以前は各家で作りました。
 その年のにお嫁さんが来た家は、嫁の実家に「掛けぶり」「嫁こぶり」といって鏡餅と鰤一匹を贈ります。博多では、門松よりも注連(しめ)飾りの方が厳格にされました。軒全体に「としなわ」を張り、玄関口には外から見て根元が右に来るように「大おろし」を飾り、「しゃくし」といわれる輪注連を風呂・炊事場・部屋などの家の至る所に飾ります。
 大晦日には「火元せん」(火事を出さない)まじないとして、座敷に大判・小判、俵など縁起のいい物をさげた副柳を飾ります。全ての準備が終わると、辻ノ堂(博多駅前一丁目)の厄八幡にお詣りし、古くなったお札やお札や御守りを燃える火に投じ、旧年の厄落としをし、来る年の幸を願うのです。
【旬のもの なまこ】
 寒さが増し「柚子の出回る頃に美味しくなる」といわれる海のいきものがあります。冬至のものが絶品とされる「なまこ」です。
夏目漱石に、「なまこを最初に食べた人は、たぶん相当に勇気をもった奴だったろう」と言わせたように、その姿といえば、ぬらぬらのいぼいぼで、目も尾ひれもなくて、本当に不気味で醜悪なのです。
 そのなまこが、日本人とは古い付き合いであることをご存知でしょうか。
 この不思議な海の生き物は、古くは『古事記』に登場し、茶道の茶会記『利休百会記』にも好まれた様子が残されています。江戸時代には鮑、フカヒレとともに三俵物とよばれ、特に中国への貴重な輸出品として活躍していました。
 なまこのからだは90%以上が水分で、旨み成分などはわずかなたんぱく質だけです。その美味も、ただ、「海の味がする」ばかり。ご先祖様たちが、このシンプルさに魅せられてきたことを思うと、グルメって一体何なのだろうと考えてしまうのです。

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