2003年【卯月号】
vol.30

 厄年は、陰陽道の思想にもとづき、災いや障りがあるとされる年回りのことです。実際に経験的に体得した人の身体の節目の年に、注意を促す意味で生まれてきたものと考えられますが、平安時代の『源氏物語』などにすでに厄年のことが見えますから、ずいぶん古いしきたりと言えましょう。
  厄年は、時代や地域、寺社によっても異なりますが、男女ともの数え年七歳・十三歳・六十一歳、男の二十五歳・四十二歳・七十七歳、女の十九歳・三十三歳・三十七歳などが一般的で、ことに男の四十二歳、女の三十三歳は大厄で、その前後の年も「前厄」、「後厄」とされ、厄難を逃れるため、さまざまな方法で「厄落とし」がされてきました。
  博多では、男の厄落としは四十一歳の厄入りの年に、大勢の友達にかこまれ賑々しく行われます。大安吉日を選び、厄落としの本人は「赤ふんどし」を締め、友人と一緒に氏神様へ行き厄除け祈願をしてもらい、その後一泊旅行に出かけ、ドンチャン騒ぎ。その間に、くだんの赤ふんどしを、誰にも知られないように、どこかにコッソリと落としてこなければなりません。これが「厄落とし」なのですが、友達に邪魔されて苦心惨憺。なんとも笑える、博多らしい陽気な厄落としです。
 女性の三十三歳は、ウロコ模様のものを必ずひとつは身につけ、氏神様へお参りしました。ウロコ模様は、三角形を組み合わせたもので、蛇身を表すといわれています。(下写真参照)
 博多の女の厄落としは、子育ても一段落した四十四歳の方が盛大でした。「四」は「死」につながるからでしょうか。この日は、「シ」の字のつくものを食べます。白髪昆布、シイタケ、シソ、白酒などなど。小宴の後は梅の木の下に行くことになっていました。梅の木と言えば太宰府がいいと、太宰府天満宮にお参りし、梅林で焼餅を食べて、それから温泉などに一泊旅行もしました。
 ちなみに太宰府の女性は、四十四歳の四月四日四時四十四分、天満宮で厄除け祈願をした後、梅の木下でひょうたん酒を酌み交わしています。


ウロコ模様の厄除け帯(福岡市博物館所蔵)
【手前味噌汁】
 毎日の食卓で大切にしたい料理の一つに、味噌汁があります。なんてことのないシンプルなものですが、味噌の調合や実の好みなど、いくらでもアレンジできる面白さはピカイチ。ごはんの副食と思っていると、時に、豚汁や漁師汁などに化けて主役を務めるのだから侮れない存在です。
  そもそも味噌汁は、応仁の乱のときに兵食として考案されたのがはじまりといわれます。軍用食ですから、きわめて栄養的、経済的に作られるのですが、米飯を主食とする日本人にとって、味噌汁ほど理にかなった料理もなかったようです。のちの戦国時代には、各地の武将が「兵食研究」として、味噌汁に工夫を凝らしていきます。それが庶民に広がり、今に伝わったことは周知の通りですね。
  ふと「これまでに、いったい何杯の味噌汁を、何種類のアレンジで食してきただろう」と想像してみましたが、見当もつきませんでした。明日の朝は、季節限定「手前味噌汁」を楽しんでみようと思います。

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