2003年【皐月号】
vol.31

 博多どんたくは、毎年ゴールデンウィーク最高の人手を集める行事として、全国にその名を知られています。日舞有り、バトントワラー有り、吹奏楽有り、仮装有りと、様々な工夫を凝らしたグループがパレードしますが、その先頭を行くのは、福神・恵比須・大黒の三福神と稚児流れ(ちごながれ)からなる松囃子(まつばやし)の一行です。
 どんたくの起源は、八百年以上の伝統を誇るというこの松囃子にあるのです。
 松囃子の一行はパレードとは別に、「言い立て」というめでたい唄を謡いながら博多の市中をまわり、主立った家や寺社、会社に立ち寄り、「祝うたあ」と祝福します。
 祝いを受けた方からは答礼として「一束一本(いっそくいっぽん)」が渡されますが、これは江戸時代、松囃子が福岡城に繰り込んだ時、藩主から「一束一本」が渡されていたという歴史を現代に伝えるものです。
 一束一本は、武士の礼物(れいもつ)として使われていた物で、杉原十帖(二百枚)を一束にしたものに扇一本を添えた物です。杉原紙は、楮(こうぞ)で作られた紙で、奉書(ほうしょ)に似て薄く柔らかな紙。鎌倉時代に播磨(はりま)国(兵庫県)杉原村で作られたことから「杉原」といい、古来慶弔・目録用に供されました。
 というわけで、「博多だけの物」というわけではありませんが、博多には次のような話が伝えられています。
 山笠や、博多織、はたまた饅頭やうどんの起源に係わる人として語られる聖一国師(しょういちこくし)が、中国留学から博多へ帰ってきた時、東シナ海の荒波を無事乗り越えることができたのは、ひとえに箱崎八幡宮のご加護によるものと、御礼の参拝をしたのですが、身一つ命からがらやっと帰り着いたばかりで、供物として捧げるような物は何も持っていませんでした。そこで中国で求めた扇一本に懐(ふところ)の紙を添えてせめてもの供物にしたのが「一束一本」の始まりだというのです。
 たとえ品物は簡素でも、心のこもった物として、博多の習わしになったといいます。

【勝て!菌に】
 ここ数年、日本茶の人気復活には目をみはるものがあります。これまで、身近すぎてあまり光を浴びることがなかった日本茶ですが、ホッとする味覚の面だけではなく、その薬利作用が健康面からのアプローチを可能にしているのです。
 そもそも、日本茶の研究が本格的に始まったのは、80年代に入ってから。ある大学の先生が、ひょんなことからお茶をコレラ菌にかけてしまい、その菌があっという間に死滅したのがきっかけだったといいます。この出来事に身震いした教授は、抗菌作用のあるお茶の化学物質を「菌に勝て!」と願いを込めて、「カテキン」と命名しました。その後のカテキンの知名度は、今日ますます上がる一方です。
 そういえば、お鮨のあとの「あがり」は、消毒作用があると聞きますが、これが江戸時代からの習慣だったことを思うと、昔の人の知恵には本当に頭が下がります。
「勝て!菌に。」これ、嘘のような本当のお話。刺激的で、なんだかほのぼのします。

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