2005年【皐月号】
vol.55

千鳥なく柚の湊をとひこかし
     唐土船のよるのねざめに
     
藤原定家(続古今和歌集)
 たくさんの古歌に詠まれた柚の湊は、その美しい名の響きや異国へつながる存在として人々のロマンを駆り立ててきました。
 この湊は、太宰大弐となった平清盛が日栄貿易の拠点とするために造った湊で、呉服町交差点付近にあったという説を出したのは、鴻臚館跡を発見したことで知られる中山平次郎博士でした。以来これが通説として広く知られてきました。
 ところが、地下鉄二号線(貝塚線)の工事に先立つ発掘調査の結果、この場所は清盛の時代には陸地だったことが判明し、柚の湊はふたたび幻となってしまったのです。
 中山平次郎博士の説の根拠は、柚の湊の歌が、唐人・唐船にかけて詠んだものが多く、しかも鎌倉時代以降の歌ばかりということにありました。しかし、柚の湊は古歌に登場するばかりで、歴史の資料に登場するようになるのはずっと後の時代になってからです。
 博多の豊臣秀吉の陣中を見舞った細川幽斎(ガラシャ夫人の義父)は、里人から「ここが柚の湊です」と教えられ、二首の和歌を詠んでいます。また朝鮮出兵のため九州に下った武将木下勝俊は、宿の主に「有名な柚の湊を見物したい」と頼み、ほとんど水のない状態の柚の湊跡に案内され、「まこと唐船が寄港した湊とも思われない」と驚いています。秀吉の時代、かなり有名な存在だった柚の湊ではありますが、すでに"幻"の湊となっていたようです。
柚の湊は、歌物語りの世界だけのものなのか、本当に実在した湊なのか、謎はひろがるばかりです。
 ただたくさんの唐土船が寄せた湊が博多にあったということは疑いもない事実です。



博多古図(絵馬)/住吉神社所蔵
※左側の入り海に「柚之湊」と書かれています。
【鵲(かささぎ)】
 先日、川辺で美しい鳥と出会いました。黒と白の姿が眼にまぶしい鵲です。
 鵲は全長四十五センチメートほどの黒い鳥で、腹、肩、翼の先が白く、尾は長くて金属の光沢を帯びたような縁黒色をしています。田舎のあたりでは、樹木の枝に大きな丸い巣を作る姿が見られるといいます。
 孔子が編集したといわれる中国最古の刺繍『詩経』には、この鵲を歌った民謡があります。当時の民衆は、鵲をどのように詠んだのでしょうか。面白い翻訳があるのでご紹介します。
かささぎの巣に
めをと鳩が入ったとばい
殿様と奥方と
どつちもどつらも
車百両出して
そいで、めをとにならしたとたい

これは海音寺潮五郎の名訳誉れ高い『詩経』からの引用です。なぜか九州弁なのです。海音寺潮五郎が薩摩出の九州人だったからでしょうか。いずれにせよ、九州に住むわたしには、この『詩経』の一節が、鵲と遭遇したあの日からことのほか気になるのです。

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