2005年【卯月号】
vol.54

 九大病院の正門から大学通を西に進むとすぐ、右手奥まったところに立派な門が見えてきます。
この門は福岡城本丸の表門を移築したもので、「崇福寺」と雄渾な筆致で書かれた門札が掲げられています。
 この寺は鎌倉時代の仁治元年(一二四〇)、太宰府の四王寺山麗の横岳に随乗房湛彗(ずいじょうぼうたんね)が建立し、翌年宋より帰国した聖一国師(しょういちこくし)が開堂説法し、文永九年(一二七二)大応国師(だいおうこくし)が開山(かいざん)となった臨済宗(しんざいしゅう)大徳寺派の古刹です。
 大応国師(南浦紹明〈なんぼじょうみょう〉)は三十三年間この寺に住んで、後に京都大徳寺の開山となった大燈国師(だいとうこくし)、妙心寺開山となった無相大師(むそうたいし)など多くの名僧を教育し、日本禅を樹立しました。また時は蒙古襲来のさなか、国師は外交ブレーンとしても活躍しました。
 天正十四年(一五八六)、四王寺山の一角にあった岩屋城(いわやじょう)が落城したとき、この寺も焼失しますが、黒田如水(じょすい)の参禅の師、大徳寺の春屋国師(しゅんおくこくし)の懇請によって、博多千代の松原に再興し、黒田家の菩提寺になりました。黒田家墓地には如水の碑をはじめ、初代長政・四代綱政・六代継高(つぐたか)・七代治之(はるゆき)・九代斉隆(なりたか)ら歴代藩主の墓があり、また檀家の墓地には博多商人三傑の一人嶋井宗室(しまいそうしつ)、玄洋社の頭山満(とうやまみつる)「人参畑の婆(ばば)しゃん」として知られる高場乱(たかばおさむ)など、博多の歴史に名を残す人々のお墓もあります。
 車の行き交う大学通から山門を一歩入れば、福岡城の面影を見、博多を足場に海外に雄飛した先人に思いを馳せ、はたまた禅文化に浸ることができる。閑かな別 世界が広がるのです。


崇福寺山門
【茶の間をたのしむ】
 冬ごもりからさめた植物たちが、初々しい香りをただよわせる頃となりました。うららかな春の日は、家でのんびりお茶を啜っていたくなることもあるでしょう。
 そこで、さっそく用意した急須と茶葉。お湯は茶葉の種類に合わせて少し冷まし、湯呑みと急須はほどよく温めておきます。急須の中で茶葉とお湯が一体になるとき、いよいよおいしい時間がはじまるのです。
 茶葉の「より」がほぐれ、うまみが少しずつ溶け出す瞬間。 いつもは面倒に感じて、ついゆすったり、他の用事に気をとられ、置きすぎてしまったり…。でも、この間のほどよさこそ葉の「より」がゆっくりほぐれ、おいしさに近づく大切な時なのです。
 急須の中がいい加減になったら、湯呑みにしっかりしぼり切ります。ちょっとしたことですが、これもポイントなのです。陽光のあたる窓辺で、ほっと、のんびり。ゆったり待って、さっと出す。そんなリズムを楽しむことが、心にも優しい時間と言えそうです。

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