2006年【睦 月 号】
vol.63


西の海 檍か原の 波間より
       あらはれ出し 住吉の神    占部兼直

神代の昔、日本の国をお産みになったのは伊弉諾尊・伊弉冉尊、御夫婦の神です。
伊弉冉尊は火の神を産んだ時、身を焼かれて亡くなります。妻を恋うて黄泉の国まで訪ねて行ったものの、あまりの恐ろしい光景に逃げ帰った伊弉諾尊は、死の国の穢れを祓うため「筑紫の日向の小戸の橘の檍原」で御禊祓をしました。 海底に沈んで濯いだときに、底津小童命と底筒男命、潮の中で濯いだときに中津小童命と中筒男命、潮の上に浮いて濯いだときに表津小童命と表筒男命が生まれました。小童命、ワタツミ三神は海の神すなわち志賀島の神、筒男三神は住吉の神のことです。 ちなみにこの時、左の目を洗うと天照大神、右の目を洗うと月読尊、鼻を洗うと素戔鳴尊が生まれました。「古事記」や「日本書記」の神話で、志賀や住吉の神が皇祖神と同時に生まれたとされるのは、日本の古代において、両神がどんなに重要な神様だったかを物語るものと言えましょう。
ツツノオのツツは星、オリオン座の三ツ星であり、星を目印とする航海の神という説、船が停泊する「津」を守護する神であるという説、ツツは「謹み」の意で、航海安全のための「持衰」という潔斉者「謹の男」であるという説、対馬の南端で航海の要衝「豆酘の男」という説など様々にあります。また住吉神社の本社も大阪の住吉大社とする説が有力ですが、博多あるいは対馬が本元という説も根強くあります。
  むろん博多に住む私たちは、筑前一の宮である博多の住吉神社が本家本元と思っているのですが・・・。
現在の本殿は筑前国主黒田長政が元和九年(1623)に再建したもので、仏教渡来以前の古代建築様式を伝える「住吉造」として重要文化財に指定されています。住吉の神は和歌の神としてもひろく信仰されました。神木「一夜の松」は、永享十年(1438)社殿造営の砌、傾いた松が邪魔になるので、伐採することに決定したところ、二、三日の内にその傾きが徐々に直ったという奇瑞を示しました。この話を連歌師飯尾宗祇が「筑紫道記」に記し、感動した後花園天皇が「松花和歌集」を奉納したという話が伝えられています。 境内には京都東福寺の僧正徹や南方録で名高い立花実山ゆかりの松月庵・滴露井の跡や福岡市の代表的な能楽堂もあり、文化の香りが馥郁と感じられます。 


                                     住吉神社 本殿

【わがやの雑煮】

 正月の我が家の食卓にあがる定番メニューといえば、手作りのお節料理と2種類の雑煮です。2種類とは、カツオ菜に串ものの入った博多あごだし雑煮と、白味噌仕立ての京風雑煮です。 生粋の博多っこである母が2種類の雑煮を作り続けるのは、学生時代を京都で過ごし、すっかり京都を好きになってしまって以来のことだそうです。京都らしさを表現する「雑煮」を食べると、京都を忘れてはいけないなと思えるからなのでしょうか。 雑煮は、日本全国その土地の具や味付けをすることでよく知られますが、やはり、自分の食べ慣れた味のお雑煮が一番と思えてしまうのは、私だけではないことと思います。 
生まれ育った土地以外へ嫁いだら、自分はどっちの雑煮を作るようになるのでしょうか。母が二刀流で作り続けていたように、自分もまねてそうしてしまうかもしれません。いずれにしても、そんなちょっとした話題に事欠かない食卓の風景を大切にしたいと思う一年のはじまりです。

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